「忘れ物はないか?」
「うん。あ、戸締り気をつけて」
僅かな別れすら惜しんでゆるりと繋がれた指先に、ルルーシュの耳朶が赤く染まる。嬉しそうに顔を崩すスザクを睨みつけるが、その頬は緩むばかりで一向に引き締められる様子が見られない。
ルルーシュは諦めたように短く嘆息すると、まだ顔を赤くしたままスザクの言葉に頷いて返した。
「子供じゃない、大丈夫だ。お前こそ気をつけろよ」
「じゃあ行ってきます!」
ふゆのこいびと-4-
時刻は午後4時過ぎ。
ルルーシュは玄関に掛けられた時計で時間を確認すると、たった今スザクが出て行ったばかりの扉をもう一度見つめて居間へと戻る。
テーブルの上の器を抱え、台所で水に浸けていた洗い物と一緒に洗う。それから洗濯機を回し、既に乾いていた洗濯物を取り込むと白木蓮の見える濡れ縁に腰を下ろした。
空は夜に向けて次第に濃藍に覆われてきており、肌に感じる風の温度は昼のものより下がって感じる。
もちろん冬であるルルーシュに寒暖の差は影響しない。けれども、寒がりの家主のことを思い出し、ルルーシュは自然と笑みをこぼした。
「お前も覚えているかな、スザクが初めてここへ来たときに言ったことを」
白木蓮を見上げ、妹の名をそっと呟く。その蕾は固く閉じられ、春がまだ遠いことを示している。ナナリーの眠りが深い今はまだ無理だが、春が近付き目を覚ますようになったらスザクのことを紹介してやろうとルルーシュは思った。スザクにはナナリーの姿は見えないかもしれない。けれど白木蓮の花を見て、綺麗で大好きだと言ったスザクならばきっとナナリーも気に入るだろう。
この家に人が住み着いたと教えてくれた弟を思い出す。僕は人間をそんな簡単に信じるのはどうかと思うけど、と渋りながらも春であるユフィからの伝言をきちんと伝えてくれた。
スザクは白木蓮の花を見て、まるでプレゼントを貰ったようだと、それはそれは嬉しそうに笑ったのだという。可愛い妹を手放しで褒めてくださったので、きちんとお礼はしておきましたわと、ユフィが楽しそうに言っていましたとロロは教えてくれた。
「あいつはストレートに過ぎるところがあるから、ちょっと恥ずかしいと思ったかもしれないが、悪い奴じゃないんだ」
思ったことを真っ直ぐに伝えようとする。スザクのそんなところはきっと彼の美徳なのだろうとルルーシュは微笑んだ。本当に日本人なのかと疑いたくなる彼の言動にはしょっちゅう振り回されているが、それでもルルーシュはそう思っていた。
「スザクもナナリーに会いたがっていたよ」
とさりと音を立てて、枝から積もった雪が落ちる。空へ視線を移せば、少し小降りになっていた雪が、また本格的に降り始めたらしい。きっと寒いと駆け込むように帰ってくるだろうスザクを思い、ルルーシュは何か温かいものを用意しておいてやろうと冷蔵庫の中身を思い浮かべた。そして、すっかりスザクのいる毎日が自然になっている自分の志向回路に苦笑する。
「不思議だな、ナナリー」
たたんだ洗濯物を抱え白木蓮に向き直ると、ルルーシュは恥ずかしそうに微笑った。
「恋をするのは人間だけだと思っていたのにな」
* * * * *
ルルーシュに同居の約束を取り付けたスザクは、面白いほど舞い上がっていた。アルバイト先の小料理屋でも、女将をはじめ常連客にも突っ込まれるほど分かりやすく。
暖簾を店内にしまい、帰り支度を終えたところで、にやにやと格好を崩した女将に呼び止められた。仕事中もちょくちょく視線を感じていたから、いじりたくて仕方なかったのだろう。
「とうとう上手くいったのかい?」
とうとう聞かれたかと思いつつ、スザクは思わず苦笑した。カレンの言う通り、よっぽど自分は分かりやすかったのかもしれない。
「上手くいったかどうかは分かりませんが、前よりは仲良くなれました」
「へぇ~?いいねぇ、青春だ」
羨ましいねぇと、更ににこにこと笑う。
「年内にいい報告聞けていい気分だ。もっと精進しなよ。ほら、餞別!」
ぽい、と投げられた風呂敷包みを両手で受け取る。
「はい、ありがとうございました!良いお年を!」
スザクは満面の笑みで腰を折って、駆け足で帰途についた。
同居を始めて1週間、ルルーシュについてスザクが発見したことは5つ。
まず、ルルーシュは食事を必要としない。でも人間と同じように睡眠は必要。
冬だけれど体温がないということはなく、スザクよりはやや低めだがちゃんと温かい。これをスザクが不思議がると、雪男じゃないんだから当然だと苦笑された。
必要はないながらもお風呂が好きで、よく長風呂をしている。スザクが15分と経たずにあがってきたときは、カラスの行水かと嘆息された。
そして、意外なことに料理が上手い。自分自身は食事をとらないのにと言うと、随分前にこの家に住んでいた住み込みの女中から見様見真似で覚えたんだと教えてくれた。野菜や肉が人の手で形を変えていくのが面白かったそうだ。
女将から渡された風呂敷の底は温かい。一人暮らしのスザクのために惣菜を詰めてくれたのかもしれない。嬉しいな幸せだなとしみじみ思いながら、スザクは1秒でも早くルルーシュに会うために走るスピードを上げた。
はやる気持ちを抑えることなく、肌を切るような風にも気付かないほど夢中になって帰り着いたスザクを迎えたのは、明かりのない静まり返った自宅だった。
「…え?」
じわりと忘れていた感覚が皮膚に戻る。冷えすぎて感覚の曖昧になった耳朶が今更のように痛みを訴えてきたが、スザクはそれにも気付かない。「合ってる、よね?」と言いながら、表札を見直して「やっぱり」と唸る。家を間違えているわけではない。当たり前だよねと内心落胆しながら、再度真っ暗な家を見上げた。
スザクがルルーシュにおかえりと言ってもらえることが嬉しいと言って以来、この1週間ずっとルルーシュはそれを実行してくれていた。休暇と言っていたのも本当のようで、だいたい家の中で過ごしているようだったのに。
「……もしかして、出てっちゃったのかな…」
あり得ないことじゃないとスザクは思った。言い出したのは自分だし、すっかり舞い上がって気付かなかっただけでルルーシュはそんなに乗り気ではなかったのかもしれない。
「………あり得る…十分……」
基本的にスザクはポジティブ思考だったが、ルルーシュが絡むと楽観的なばかりではいられないようになっている。
最悪のケースを想像しただけで、女将から貰った風呂敷が腕の中でずしりと重さを増した。一緒にご飯を食べることはできなくても、ルルーシュと一緒に広げようと思っていた惣菜。女将の作るものは色鮮やかだから、きっとルルーシュも気に入るだろうとうきうきしていた気分はとっくに霧散し、跡形もない。
「…でも、ナナリーには会いに来るだろうから、もう会えなくなるわけじゃない、よね」
最後なわけじゃないと自身に言い聞かせるように、わざと声に出した。一緒に住めないのは残念だけど、ただの友達である以上無理強いすることはできないんだから仕方ないと自分を納得させるように頷く。
「よし、大丈夫!」
ぐっと拳を握り、今日はさっさと寝てしまおうと鍵を取り出す。
「何だ、帰っていたのか」
掴み損ねた鍵が滑り落ちた。雪の上に落ち、ぽすんと小さな音を立てる。
「お帰り、スザク」
落ちた鍵を拾い、スザクの手のひらに戻してそう声をかけたルルーシュだったが、顔を上げた瞬間ぎょっと目を見開いた。
「ど、どうした!?腹でも痛いのか、スザク!?」
スザクがぼろぼろと盛大に涙をこぼして泣いていたのだ。
ルルーシュの差し出したティッシュの箱から、数枚抜き取って鼻をかむ。すっかり鼻の下を赤くしたスザクは、やっと涙が引いたのか恥ずかしそうに眉を下げた。
「あ、ありがと…」
落ち着いたらしいスザクを見て、ルルーシュもようやく肩から力を抜く。
あの後、何を聞いてもただ「るる…」と言って泣くだけのスザクを何とか宥めすかして家の中に入れ、泣き終わるのを向かいに座ってじっと待っていたのだ。大の男が壊れたように泣き出したときは一体どうすればいいんだとパニックになったが、どうにか落ち着いてよかったと心の底からほっとした。
「えと、ごめん、ルルーシュ。びっくりさせちゃったよね」
もう一度鼻をかんで、スザクが決まり悪そうに頭を下げる。
「それは別にいい。それにしてもどうしたんだ?腹が痛いわけじゃないんだろう?」
心配そうに覗き込んでくるルルーシュに苦笑しながら、スザクはうぅん、と煮え切らない返事を返した。体調には一切問題などない。これほど厳しい寒さにも係わらず、風邪も引いていない。昔から健康にだけは自身があるんだと言えば、ルルーシュも安心したように頷く。
「ほんとごめんね。ちょっと自分でも驚いた。まさか泣くと思ってなくて」
「こっちの台詞だ。まさか出会い頭に泣かれるとは思ってなかった」
安心した反動か、今度は少しむすっとした様子でルルーシュが唇を尖らせた。けれど、次の瞬間には肩をすくめて微笑う。
「でも、何でもないならそれでいいんだ」
わんわんと泣きじゃくったせいで、目元も赤く腫れている。そこへそっと指先を滑らせて、ルルーシュは「困った奴だな」と言って笑った。
スザクはルルーシュにされるがままになりながら、その指先の温かさにまた泣き出しそうになっている自分に思わず苦笑する。
本当に、まさかあんなに泣くなんて思ってなかった。
共に過ごした1週間が楽しすぎて、自分でも気付かないうちにもっともっとと欲が膨れ上がっていた。
これは思っていた以上に重症みたいだ。
手を引いて、ルルーシュを抱き締める。「どうした」と聞いてくるだけで、スザクの腕を振りほどこうとはしない。つい先ほどまで泣いていた相手だからと、いつも以上に気が優しくなっているのかもしれない。まるで付け込んでるみたいだと思わないでもなかったが、スザクは逆に腕に力を込める。
ああそうだったのかと、ようやく自覚した。
もうどうしようもないくらいのところまで落ちていたんだ。
ぽんぽんと背中をあやすように撫でられ、スザクはずっと冬が続けばいいのにと鼻を鳴らす。
「泣き虫め」
きっと困ったように微笑っているのだろう、ルルーシュの声を聞きながらスザクは「ありがとう」と呟いた。
本気で、本当に、ルルーシュを好きなんだ。
今すぐ想いを告げて、僕のものにしてしまいたいほどに。
きっとルルは散歩とかに出てただけだと思う。目の前で急に泣き出されたらそりゃビックリするよね(笑)
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