ルルーシュが編んでくれたマフラーを鼻まで上げて、凍ってしまいそうなほど厳しい寒さをやり過ごす。
「相変わらず外では人には見えないし、物に触れることもできないが、この家の物は粗方持てるし触れる。お前が触ったものなら俺も触れるということか? それともこの家のなかが特別なんだろうか」
そう言ってしきりに首を傾げていたルルーシュが、まぁ触れるなら都合がいいと寒がりのスザクのために先日編んでくれたものだ。
「あー…好きな相手からの手作りプレゼントがこんなに嬉しいなんて初めて知った。生きててよかったなぁ…」
白い息を吐きながらしみじみつぶやく。
寒い中用もないのに外をうろうろするのはお断りだが、マフラーをするためなら出てもいい。そんな本末転倒な考えも、恋の前では正当化されてしまう。
僕が死んだらこれも棺の中に入れてもらおうと本気で考えつつ、スキップでもしそうな勢いでスザクはアルバイト先へ歩き出した。
ふゆのこいびと-5-
店先で雪を払いながら寒い寒いと店内に駆け込んでくる常連の客に、いらっしゃいませと声をかける。
スザクのアルバイト先がそうであるように、今日を年内最後の営業日としている店や会社は多いらしい。客のほとんどが明日の仕事を気にせず、赤ら顔で仕事仲間との飲み収めを満喫している。
温かいおしぼりとお通しを配膳しながら、たまたま見えた客の腕時計の時間をスザクは口の中で呟いた。
あと三時間とちょっと。
何日も会っていないならともかく、家を出てまだ四時間しか経っていない。なのに、もうルルーシュに会いたいと思ってしまうのはさすがにどうなんだと苦笑しつつも、スザクは早く帰りたいなぁと思いながら注文を取る。
他人が聞けば、よくある蜜月の惚気話かもしれない。けれど、自分達の場合はちょっと仕方ないんじゃないかとスザクは思う。
ルルーシュに会えるのは冬の間だけ。しかも、それ以外は声を聞くことすらできないという、遠距離恋愛とも呼べなさそうな間柄だ。
許されるなら、文字通り四六時中一緒にいたいというのがスザクの本音なのだから。
* * * * *
「水はいるか? 桃も林檎もあるぞ」
ぽわんぽわんと頭の中が揺れているような感覚。
スザクが声のした方へ定まらない視界を巡らせると、心配そうに眉を寄せたルルーシュが自分を覗き込んでいるのが見えた。
みず、と言いかけて結局ひゅうと空気が漏れただけの返事にも、ルルーシュは分かったと頷いてくれる。差し出された水差しに口をつけようと半身を起こすだけで、ありえないほど体が軋んだ。
「ご、めんね・・・」
冷たい水が胃まで落ちる感覚に、やっとほぅと息がこぼれた。
「おかしな奴だな、病人が何を謝るんだ。辛いのはお前だろう、スザク。とは言っても、俺は病気とは無縁だから、どれほど大変か分かってやれないが・・・」
肩を落としたルルーシュに、スザクはできる限りはっきりと分かるように首を振る。
季節であるルルーシュが病気にならないのは当然だ。何より、ルルーシュが万が一にも風邪など引こうものなら、どうにかして自分にうつして症状を軽くしてあげたいし、日本中の医者を回ってでも全力で彼の病気を治す覚悟がスザクにはある。
「普段あれだけ健康なお前がこんなに弱るなんて・・・本当に医者には行かなくていいのか?」
「うん、大丈夫。滅多に体調崩さない代わりに、昔から年に一回くらい大きく崩すんだ。薬飲んで静かに寝てれば、すぐ治るから」
だから心配しないでと続けようとした瞬間、ごほごほと大きく咳き込む。その咳に、ルルーシュがびくっと目を開いて驚いた。
「ほ、本当に大丈夫なのか? こんなときはどうすればいいんだ・・・看病の方法が書かれた本なんかはないのか? スザク、何かして欲しいことがあったら遠慮なく言ってくれ」
風邪ではないルルーシュの方が参っているように見えて、スザクは思わず笑ってしまう。
「じゃあ手を繋いでて欲しいな。ルルーシュの手、ちょっとひんやりしてて気持ちいいんだ」
看病される立場なのをいいことに、結構大胆なこと言ってるなと思いつつスザクが提案すると、ルルーシュはきょとんと瞬いた後、大真面目に頷いた。
「何だ、そんなことでいいのか」
そう言ってあっさりと繋がれた手にスザクは妙な感動を覚える。病気は厄介だが、こうして優しくされるのは幸せだ。それが好きな人なら尚更。
「うん、やっぱり気持ちいい」
「そうか、よかった。冬も案外役に立つな。こうしてお前の熱を下げてやれるし、風邪がうつる心配もないから、治るまでずっと傍で看病してやれる」
安心して寝ていろと微笑まれて、スザクは思わずルルーシュの手をぎゅっと握ってしまった。相変わらずすごい破壊力だ。
そのまましばらくじっとしていると、外から子供達のはしゃぐ声が聞こえてきた。明けましておめでとうと言い交わすのが耳に入って、そういえば今日は元旦だったと二人して思い出す。
ルルーシュは新年など意識して迎えたのは今年が初めてで、スザクに至っては、大晦日から体調を崩してしまったせいで、どうも正月だという実感がいまいち湧いていなかった。
「来年からは大晦日に初詣に行くのは、止めた方がいいかもしれないな」
ルルーシュが苦笑し、スザクもまた情けなく眉を下げる。
「ちょっと着込み方が足りなかったのかも。深夜の屋外があんなに冷え込むとは思ってなかった」
「いや、十分着込んでいたと思うが…。というより、俺が張り切って仕事を頑張りすぎたせいかもしれないな。スザクと一緒に暮らしたり、ナナリーの傍にずっといられたりと、今年は色々あったから…自分でも気付かないうちに浮かれているのかもしれない」
どこか照れたように苦笑するルルーシュに、スザクはぽかんと口を開けて固まった。
浮かれている? ナナリーだけじゃなく、今、自分と同居しているからかもと、そう彼は言ったのか?
ぱくぱくと口を開けたり閉じたりしていると、ルルーシュが「ああ」と頷いた。
「そういえばそろそろ昼だな。ちょうどいい、ついでに着替えて薬も飲めるように準備しよう。粥でいいか?」
スザクが空腹を訴えたと勘違いしたルルーシュが腰を浮かす。スザクは咄嗟に手を伸ばして、ルルーシュの着物の袖を掴んだ。違う、そうじゃなくて、そうじゃなくて。
「ルルーシュ、あのさ、」
「何だ、そんなに心細いのか? 心配しなくても、終わったらまた手を繋いでいてやる。少しだけ待っていてくれ」
まるで小さい子供にするような仕草で、あやすように頭を撫でられた。
「梅干しと玉子、どっちがいい?」
「…………梅干し」
スザクが答えると、分かったと笑んで部屋を出て行く。とんとんと階段を下りる足音を聞きながら、スザクは伸ばした手を力なく布団の上に落とした。
てきぱきと動くルルーシュの姿を何となく目で追いかけながら、スザクは額の冷却シートを貼り直す。
三が日を丸々寝て過ごした翌朝、ようやくスザクの熱が下がったが、スザクがいくらもう大丈夫だと言っても、ルルーシュは頑として首を縦に振らなかった。
「病み上がりこそ安静にしていなければ、またぶり返すぞ。少なくとも明日までは寝ていた方がいい」
と言われ、これ以上心配をかけるのもと引き下がったスザクは、絶対に体を冷やさないように何着も着込んで居間の炬燵に大人しく座っている。
正月色もだいぶ薄れたテレビ番組をBGMに、年賀状に目を通す。
中高時代の友人や大学の友人、ゼミの教授からの葉書に紛れて、母親からの年賀状を見つけて手が止まった。
母の繊細な字で埋められた葉書の最後に、短く父の字で元気かとだけ書かれている。それを見て思わずスザクが笑っていると、水仕事を終えたルルーシュが手を拭いながら隣に腰を下ろした。
「面白いことでも書いてあったのか?」
「ちょっとね、どんな顔で書いたのか考えちゃって」
反対を押し切った自分に、住む家を与えたり健康を案じたりする両親の優しさに、じんわりと胸の奥が温かくなる。
家を出るときに、スザクは少なくとも大学を卒業するまでは実家に戻らないと決めていた。ならばせめて近いうちに電話だけでもかけようと思いながら、年賀状をテーブルの端にまとめる。
「僕は幸せ者だな」
スザクの言葉に、ルルーシュも柔らかく微笑んだ。そうか、と相槌を打って庭の白木蓮を見上げる。そして視線をスザクに戻すと、いつの間にかぺろりと剥がかけていた冷却シートの端を貼り直した。
「スザク、体調はどうだ? 苦しくないか?」
「大丈夫。熱もほとんど下がって平熱とそう変わらないし、ルルーシュの言う通り明日明後日には完治すると思う」
「よかった。昼食も食べられそうだな。とりあえず雑炊にしたが、今夜はお前の好きなものを作ろうか」
再び腰を上げ、台所へ向かうルルーシュの背を見送って、スザクは今年の冬は何が何でも万全の体調でいようと拳を固めた。
ルルーシュに看病してもらうのは魅力的だが、せっかく一緒にいるのなら、健康な体で何の憂いもなく過ごせた方がいいに決まっている。
湯気を立てる一人用の土鍋を載せたお盆を、ルルーシュが運んできた。
ふわふわの黄色い玉子が白いご飯に絡まり、色鮮やかな葱と香り高いかつお節が散らされた雑炊に、スザクの腹が鳴る。食欲が戻ってきている証拠だと、ルルーシュが嬉しそうに茶碗によそった。
「ルルーシュの作るご飯は本当に美味しいよね」
「ただの雑炊に大袈裟な奴だな。ああ、急ぐと火傷するぞ。冷ましてやるからちょっと待て」
すっかり看病が板についたルルーシュに面映さを感じつつ、大人しく蓮華が口に運ばれるのを待つ。
これで甘い雰囲気でも漂えば恋人気分も味わえるだろうが、ふぅふぅと息を吹きかけるルルーシュの顔は真面目そのもので、恋人というよりは雛鳥の面倒を見る親鳥に近い。
「ほら、落ち着いて食べろよ」
でもルルーシュの手ずから食べられるのは役得だなと、スザクは盛大に頬を緩ませる。
食べ進めていると、不意にルルーシュが窓の外に手を振った。
「どうしたの?」
まるで誰かに挨拶したかのような様子にスザクが首を傾げると、ああと頷かれる。
「二丁目の公園に植えられている椿が通ったんだ。挿し木された枝の蕾がなかなか咲かずに心配していたんだが、あの様子だと無事に咲いたらしい」
本当に嬉しいのだろう、安堵を滲ませたルルーシュの微笑みはこれ以上ないほど輝いてる。スザクもつられるように相好を崩した。
「よかったね。その子の様子、一緒に見に行こうよ」
「ああ、お前が完治したらな」
蓮華をスザクの口に運び、スザクが咀嚼するのを待ちながらルルーシュが再び窓の外を見やった。
暖かそうな日光が庭の白木蓮を照らしている。
三が日の間に積もった雪が白く光を反射し、徐々に融けていっているのが見えた。
「もうすぐ春が来るな。暖かくなるから、お前も過ごしやすくなるだろう」
何気なく呟かれたその言葉に、スザクはごくりと口の中のものを飲み込んだ。そのまま固く唇を引き結び、ゆっくりとルルーシュを見つめる。
「うんと寒くしたから、きっとナナリーも綺麗に咲くぞ」
雪を被った枝に、いつの間にかいくつも立派な蕾が膨らんでいた。
「俺は見られないが、お前が代わりに見てあげてくれ。あの写真というものに残しておいてもらえたら嬉しい」
スザクは頷くことも忘れて白木蓮を見上げた。
咲くのが待ち遠しいと、蕾を覆う白い産毛を愛おしそうに撫でるルルーシュの姿を何度も見ていたはずなのに、すっかり頭から抜け落ちていた。
春が来る。
「何だ、もういらないのか?」
ぎくしゃくと首を縦に振って、スザクは俯く。声は出せなかった。
春が来る。
それはつまり、ルルーシュがいなくなるということだった。
これからスザクはますますぐるぐるのターン。
PR